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更新日:2019年4月26日

赤穂の獅子舞

赤穂の獅子舞「新田西部獅子舞保存会」

◆赤穂の獅子舞「新田西部獅子舞保存会」

承応元年、藩主浅野長直が近江の山王大権現宮(日吉神社)を勧請し、新田日吉神社が創建されました。獅子舞は、当時の入植者たちにより始められ、文化文政時代には確立されたと伝わります。道中舞のゆったりとした動きや、奉納舞での激しい動きが見どころです。

赤穂の獅子舞「木生谷獅子舞保存会」

◆赤穂の獅子舞「木生谷獅子舞保存会」

木生谷の三宝荒神社の獅子舞は、尾崎地区の赤穂八幡宮の流れを汲みます。昭和30年代に一度途絶えましたが、昭和50年代初めに若者たちが保存会を結成しました。伝承では、獅子が人里に現れて暴れまわるため、神が鼻高を遣わし、獅子を治めたのが由来と伝わります。
赤穂の獅子舞「木津獅子保存会」

◆赤穂の獅子舞「木津獅子保存会」

はっきりした由来は分かりませんが、古くから疫病・悪魔祓いや五穀豊穣を願い、木津大避神社の祭礼で獅子舞が奉納されていました。昭和40年代には一度途絶えましたが、昭和53年に保存会を立ち上げ、地域の高齢者から技術を教わりながら受け継がれています。

赤穂の獅子舞「大津獅子舞保存会」

◆赤穂の獅子舞「大津獅子舞保存会」

大津八幡神社は応神天皇を祭神とし、かつて和気清麻呂が寄港した際に勧進したのが由来と伝わります。獅子舞は昭和初期に青年団が立ち上げたといわれ、過去には何度か中断したこともありますが、昭和57年に経験者数人が再度立ち上げ、今に至っています。

赤穂の獅子舞「砂子獅子舞保存会」

◆赤穂の獅子舞「砂子獅子舞保存会」

獅子舞の由来や歴史については、太鼓を修理した際に嘉永3年という表記が出てきたことから、江戸時代後期と推測されます。砂子荒神社に、伊勢お蔭参りの絵馬が奉納されていたり、伊勢音頭での宮入りがあることから伊勢大神楽の流れを汲むと思われます。

赤穂の獅子舞「福浦本町東獅子舞保存会」

◆赤穂の獅子舞「福浦本町東獅子舞保存会」

福浦正八幡宮の獅子舞は、東地区の雄獅子と西地区の雌獅子があります。東地区では、江戸時代末期に有年より伝授されたといわれ、現在は12の演目が継承されています。東地区の組が当屋を担当するときは、福浦本町東獅子舞保存会により獅子舞を奉納しています。

上浜市獅子保存会

◆上浜市獅子保存会

上浜市の獅子舞は、伊勢大神楽師の伎楽系の獅子で、天保・弘化の頃、栄吉という旅人から伝わったと言われています。以前は16演目ありましたが、現在は12演目と鼻高が舞われており、上浜市荒神社での宵宮・本宮、地区の花舞、班舞として伝承されています。

新田居村獅子舞保存会

◆新田居村獅子舞保存会

新田日吉神社が赤穂藩主浅野長直によって近江より勧請された頃から、人々の楽しみとして獅子舞が舞われていたと言われています。その後、文化文政時代辺りに獅子舞として確立し、現在は他地区の獅子舞の要素を取り入れて創意工夫をしながら現在に至っています。

西有年獅子舞保存会

◆西有年獅子舞保存会

西有年の獅子舞は、伊勢大神楽系獅子のひとつで、いつ頃から舞い始めたのか記録にありません。以前は、地区内の7部落が交替で、有年大避神社に牡獅子と牝獅子を奉納していましたが、現在は自治会が世話役となって、隔年で牡獅子と牝獅子を交互に奉納しています。

中広獅子舞

◆中広獅子舞

中広獅子舞は明治後期より中広地区で始まり、尾崎八幡宮の獅子舞の流れを持ちます。稲荷神社に奉納される獅子舞は、雄、雌二頭の息の合った舞いと力強く飛び跳ねる鼻高が特徴です。また、昭和30年頃に上仮屋地区で舞われていた芸獅子(屋島)も伝承しています。

周世獅子舞保存会

周世獅子舞保存会

周世八幡宮に奉納される獅子舞は、昭和40年頃まで青年団が中心でしたが、昭和50年代には自治会により保存会が結成されました。その後、子どもたちの祭りへの参加促進と文化継承を図るために唐子や猿も加えながら、地区住民の協力により成り立っています。