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赤穂義士

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更新日:2011年9月1日

赤穂義士略式年表

元禄事件略年表

 

元禄14年
(1701)
元禄15年
(1702)
元禄16年
(1703)
宝永2年
(1705)~
正徳3年
(1713)
延享4年
(1747)
寛延元年
(1748)

 元禄14年(1701)

月日 出来事
2.4 浅野内匠頭長矩に勅使御馳走役、伊達左京亮宗春に院使御馳走役を命ずる
3.11 勅使柳原資廉・高野保春、院使清閑寺熈定、伝奏屋敷に到着する。
3.12 勅使・院使登営。将軍綱吉へ勅旨・院旨を伝える
3.13 勅使・院使登営。将軍綱吉、饗応能楽を催す
3.14 勅使・院使登営。江戸城松の廊下で浅野長矩、吉良上野介義央に刃傷事件起こす。浅野長矩、田村右京大夫建顕へお預けとなり、夕刻切腹、夜泉岳寺に葬られる。事件を報ずる第一の早使、足軽飛脚、第二の早使が赤穂へ向けて発つ
3.15 浅野大学長広、閉門を仰せ付けられる。赤穂城受城使に脇坂淡路守安照・木下肥後守公定を任命
3.17 浅野鉄砲洲上屋敷を引き渡す
3.18 浅野赤坂下屋敷を引き渡す
3.19 第一の早使、続いて浅野長広書状、第二の早使が赤穂へ到着
3.20 赤穂藩札の六歩引換えを始める(3月28日終了)
3.21 浅野長広閉門の知らせが赤穂へ到着する
3.26 吉良義央、辞職。以後、寄合に列す
3.27~3.29 大石内蔵助良雄、藩士を赤穂城中に集め大評定
3.29 大石良雄、受城目付宛の「欝憤之書付」を持たせ多川九左衛門・月岡次右衛門を江戸へ派遣
4.5 多川九左衛門・月岡次右衛門、受城目付に大石良雄の「欝憤之書付」を渡せず、戸田氏定に見せる
4.11 大石良雄ら切腹の連判をする(4月12日現在で29人、都合64人)。多川九左衛門・月岡次右衛門、江戸より戸田氏定の書状を持って赤穂へ帰る
4.12 大野九郎兵衛一家、赤穂から逃亡する
4.13 赤穂城内の武具・馬具を売り払う
4.14 家中、浅野家代々の永代供養のため、花岳寺・大蓮寺・高光寺へ田地を寄進
4.15 大石良雄ら、残務整理の会所を城下加里屋の遠林寺に移す。赤穂藩家中、赤穂城下を退去する。大石良雄一家は尾崎村へ移る
4.16 受城目付荒木政羽・榊原政殊、赤穂へ到着する
4.17 幕府の代官石原正氏・岡田俊陳、赤穂へ到着する
4.18 目付・代官の城内見分。赤穂近隣の諸藩、陸海の警戒にあたる
4.19 受城使脇坂安照・木下公定、赤穂城を請け取る
5.11 受城目付荒木政羽・榊原政殊、赤穂を発ち江戸へ向かう
5.20 大石良雄、遠林寺祐海を江戸に派遣、護持院隆光に浅野家再興の運動をする
6.4 大石良雄ら、残務整理を終え、遠林寺の会所を引き払う
6.25 大石良雄、尾崎村を発ち山科へ向かう
6.28 大石良雄、山科西山村(西野山)に隠栖する
8下旬 大石良雄、原惣右衛門・潮田又之丞・中村勘助を江戸急進派の鎮撫に派遣する
9.2 吉良屋敷を呉服橋内から本所(もと松平登之助屋敷)へ移す幕命が出る
9.18 このころ、大石良雄、進藤源四郎・大高源五を江戸急進派の鎮撫に派遣する
10.23 大石良雄、奥野将監らと京都を発ち江戸に向かう(11月2日到着)
11.4 堀部安兵衛ら3人、大石良雄を訪ね予備会談をする
11.10 江戸会議。大石良雄ら、仇討ちを仮に明年3月と決める
11.23 大石良雄、奥野将監らと江戸を発ち京都へ向かう(12月5日帰着)
12.11 吉良義央隠居、義周の家督が許可される

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 元禄15年(1702)

月日 出来事
1.14 山科・伏見の衆、瑞光院の浅野長矩墓所に参拝し、寺井玄渓宅で会談する。
萱野三平、郷里の摂津国豊島郡萱野村で自害する
1.- このころ、高田郡兵衛脱落する
2.15 山科会議。浅野長広の処分を待ってことを起こすを決議する
2.21 吉田忠左衛門・近松勘六、山科会議の決議を同志に伝えるため、京都を発ち江戸へ向かう(3月5日到着)
4.中旬 大石良雄、妻子を但馬国城崎郡豊岡の実家石束源五兵衛毎公へ帰らせる
5. 大高源五(俳名子葉)、『誹諧二ツの竹』を出版する
6.29 堀部安兵衛、京都に着き、原惣右衛門・大高源五らと仇討ちの相談をする
7.18 浅野長広、広島差し置きを命ぜられ、広島藩桜田向屋敷へ移る
7.28 円山会議。大石・原・堀部ら19人、仇討ちを決議する
7.29 浅野長広、妻子と共に江戸を発ち広島へ向かう(8月21日到着)
8.10 堀部安兵衛・潮田又之丞、江戸に到着する
8.12 堀部ら江戸の同志、隅田川舟上会議を開く
8.- 大石良雄、横川勘平・貝賀弥左衛門・大高源五に同志を訪ねさせ神文判形の返戻をさせる
閏8~10 このころ、脱盟者相次ぐ。同志は江戸に集結する
9.24 大石主税良金ら江戸に到着
10.7 大石良雄ら、京都を発ち武蔵国平間村に向かう
10.26 大石良雄ら、平間村へ到着する。平間村滞在中、討入り心得書「覚」を作る
10. このころ、吉良邸の図面2枚を入手する
11.5 大石良雄、平間村を発ち江戸石町に居を移す
11.13 大石三平、中嶋五郎作・羽倉斎から得た吉良情報を堀部安兵衛に知らせる
11.29 大石良雄、落合与左衛門を通じて瑶泉院に「預置候金銀請払帳」を提出
12.2 深川会議。同志一同、深川八幡前の茶屋に集合し「人々心覚」を決める
12.3 大石家来瀬尾孫左衛門・足軽矢野伊助、離脱する
12.5 当日の吉良茶会が延期と判明し、討入りを延期する
12.11 毛利小平太、離脱する。大石良雄、討入り部署を定める
12.14 大石三平・大高源五から吉良茶会の情報が入る。大石良雄、12月15日早朝の討入りと決し、同志を本所の堀部安兵衛宅などへ集結させ武装する
12.15 吉良邸討入り事件起こる
赤穂四十七士、吉良邸に討入り、吉良義央を討ち取る。途中、吉田忠左衛門・冨森助右衛門、大目付仙石伯耆守久尚に自訴する。残りの44人、泉岳寺へ引き揚げ、浅野長矩墓前に吉良義央の首級を手向ける
12.16 細川越中守網利(熊本藩)へ17人、松平隠岐守定直(伊予松山藩)へ
10人、毛利甲斐守網元(長府藩)10人、水野監物忠之(岡崎藩)へ9人、それぞれお預けとなる
12.23 評定所、吉良・上杉方は厳罰、四十六士はお預け差し置きとする「存知寄書付」を老中へ提出する

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 元禄16年(1703)

月日 出来事
2.4 四十六士、お預け先4藩の江戸屋敷で切腹。吉良義周、知行地を没収され、諏訪安芸守忠虎(諏訪藩)へお預けを命ぜられる。大石らの遺児19人に遠島仰せ付けられる
2.11 吉良義周、江戸から諏訪の高島城へ護送される(2月16日到着)
4.28 浪士の遺児吉田伝内・間瀬定八・中村忠三郎・村松政右衛門、伊豆大島へ遠島となる

 

 宝永2年(1705)

月日 出来事
4.27

間瀬定八、伊豆大島で病死する

 

 宝永3年(1706)

月日 出来事
1.20 吉良義周、配所の諏訪高島城で死去(2月4日地元の法華寺へ埋葬)
8.12 吉田伝内・中村忠三郎・村松政右衛門、遠島赦免となる

 

 宝永6年(1709)

月日 出来事
7.18 浅野長広、広島藩差し置き赦免となる
8.20 浅野長広、帰府を仰せ付けられる(10月25日江戸帰着)

 

 宝永7年(1710)

月日 出来事
9.16 浅野長広、安房国に新知500石を与えられ、寄合に列せられる

 

 正徳3年(1713)

月日 出来事
10.1 大石大三郎(良雄三男)、広島藩浅野安芸守吉長に召し抱えとなり広島に到着

 

 延享4年(1747)

月日 出来事
10.6 寺坂吉右衛門、江戸で死去。麻布曹渓寺に葬られる

 

 寛延元年(1748)

月日 出来事
8.14 竹田出雲(二世)・三好松洛・並木千柳の浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」が大坂竹本座で上演される

 

参考文献/『赤穂市史』第2巻(昭和58年、赤穂市刊)。『忠臣蔵』第1巻(平成元年、赤穂市刊)

お問い合わせ

所属課室:建設経済部産業観光課観光係

兵庫県赤穂市加里屋81番地

電話番号:0791-43-6839

ファックス番号:0791-46-3400

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