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更新日:2023年5月1日

赤穂義士にまつわる史跡等

花岳寺

初代藩主・浅野長直が浅野家の菩提寺として建てた寺で、長直の両親の法名をとって名づけられました。浅野家、永井家、森家の菩提寺としても知られています。入り口の門は旧赤穂城の西惣門で、明治6年に花岳寺に移されました。赤穂市では平成元年に史跡に指定しており、元禄以前の建物として、そのままの姿で現在も赤穂に残る貴重な建物です。門をくぐると目の前に大石内蔵助が母の冥福を祈って植えた美しい松、本堂横には浅野内匠頭を中心に義士たちの墓が並ぶ墓所があり、ここには遺髪が納められていると伝えられています。墓所の入り口には大石内蔵助の屋敷から移し植えた「忠義桜」があり、散り際の美しさを桜に例えるように毎年見事な花を咲かせています。赤穂藩と義士ゆかりの品々が保存されている『宝物館』や『義士木像堂』など見所も数多くあります。

花岳寺

赤穂市加里屋1992
播州赤穂駅下車、徒歩5分

大石神社

浅野家江戸詰の家老、藤井又左衛門と大石内蔵助の屋敷跡に大正元年に四十七義士を祀る神社としてご鎮座。祭神は、大石内蔵助以下四十七義士、中折の烈士萱野三平を主神とし、浅野家三代、本能寺の変に散った森蘭丸ら森家の武将を合祀しています。四十七義士が苦労を重ね、長い時間をかけて大きな望みを達成したことにより、願望成就、大願成就の神として知られ、全国から多くの参拝客が訪れる神社でもあります。

社殿を中心に境内には義士ゆかりの武具、書画など多くの遺品を展示する『義士宝物館』、浅野内匠頭と四十七義士の木像を集めた『義士木像奉安殿』などがあります。義士木像奉安殿の木像は、義士切腹から満250年の大祭を記念して、浅野内匠頭は平櫛田中に、大石内蔵助は山崎朝雲にと、いずれも当代超一流の彫刻家によって製作されました。

大石神社

赤穂市上仮屋旧城内
播州赤穂駅下車、徒歩15分

大石邸庭園

大石神社内にある大石内蔵助の邸宅跡で、見事な庭園を見ることができます。また、庭園から見る長屋門内には、刃傷事件の知らせを持って参上した早水藤左衛門、萱野三平、その内容を読む内蔵助、主税父子の姿をリアルに再現した人形も展示されています。

大石邸庭園

大石神社内

大石邸長屋門

浅野赤穂藩の家老、大石家二代の屋敷の長屋門で、屋敷は畳数にして308畳の広大な邸宅でした。浅野内匠頭の刃傷事件の際、その知らせを持って早かごで駆けつけた早水藤左衛門、萱野三平が実際にたたいたのもこの門です。享保14年(1729)、建物の大半が火災に遭いましたが、長屋門だけが焼失をまぬがれ、その後建て替え等を経て数少ない江戸時代建築として現在も場内に残っています。

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大石邸長屋門

赤穂市上仮屋旧城内
播州赤穂駅下車、徒歩15分

息継ぎ井戸

江戸での浅野内匠頭による刃傷事件の第一報を知らせるため、元禄14年3月14日の夕刻に赤穂藩士、早水藤左衛門、萱野三平が早かごで江戸を出発。赤穂城下に着いたのは3月19日の早朝でした。155里(約620km)の行程を4昼夜半早かごに揺られ続けた両人は、城下に入りこの井戸の水を飲んで一息ついたといわれ、以来、息継ぎ井戸と呼ばれています。

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息継ぎ井戸

赤穂市加里屋1992
播州赤穂駅下車、徒歩5分

おせど

赤穂八幡宮の東南にある大石内蔵助の仮寓地跡で俗称「おせど」と呼ばれています。赤穂城明け渡しの直前、城内三之丸の屋敷からこの地へ移り、その後京都の山科へ移るまでの2か月余りを過ごした場所です。牛石、馬石と呼ばれる巨石は、赤穂城本丸庭園にあったものと伝えられています。

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おせど

義士宅跡

赤穂四十七義士のうち、赤穂市内に屋敷があったと判明しているのは21名です。現在は民家や公園、空き地など様々な形に姿を変えていますが、それぞれの義士宅跡には義士を紹介する説明板と石標が立っています。21ヵ所の義士宅跡を探して、当時の義士たちの生活を想像してみるのも楽しみ方の一つです。

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義士宅跡

お問い合わせ

所属課室:産業振興部観光課観光係

兵庫県赤穂市加里屋81番地

電話番号:0791-43-6839

ファックス番号:0791-46-3400