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更新日:2023年1月1日
第3回(2004年7月29日)
殿中刃傷事件や討入りの日が西暦に直すといつですか?…と、よく尋ねられます。
映画やテレビでは、浅野内匠頭が切腹するのは3月14日であるのに、介錯人が振り下ろした刀の衝撃波で桜の花が散るシーンがあります。
また、最近は暖冬で雪の降るのが少なくなりましたが、12月14日の討入りの時、雪を踏みしめて義士たちが吉良邸へ向かうシーンがあります。
義士が切腹に向かう時、庭に梅の花が咲いているシーンも見受けます。
このように、今の暦では随分と季節感にずれがあって、不思議だと思っておられる人も少なくないと思います。
日本では、明治6年1月1日(旧暦明治5年12月3日)に今使用されている太陽暦が採用されましたが、それ以前は太陰太陽暦でした。
太陰太陽暦は、太陰暦と太陽暦を折衷した暦で19年に7度の閏月(うるうづき)を設けて調整する暦です。約2年半に一回の閏月があったわけです。
旧暦と今の太陽暦とでは、一概(いちがい)にはいえませんが、約1月半ほどずれています。
そして一日は、夜明けで始まり翌日の夜明けで終わることにしていました。今のように午前0時で一日が始まるということではなかったのです。
そこで事件が起きた日は、今の西暦にするといつに当たるか列記してみました。和暦の次に西暦を記しています。
この文を書いた人(文責)
矢野圭吾(赤穂市教育委員会)
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