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更新日:2023年1月1日
第4回(2004年8月2日)
川柳は、江戸時代後期に江戸(東京)を中心に流行した俳句形式の句ですが、俳句とは違って季語は無く、人事や人情を主題とします。
赤穂事件と仮名手本忠臣蔵を詠んだ川柳は多数あります。『忠臣蔵』第6巻(平成9年3月発行)を編集した時に、「俳風柳多留」をはじめ、約26万句の川柳を点検しましたところ、赤穂事件・忠臣蔵関係の句が約3,400句あることがわかりました。全川柳の約1.3パーセントを占めていることになります。
いかに、多くの人たちが事件のことや忠臣蔵の芝居に感心を持ち、それを川柳の題材として取り上げたかがわかります。
また、「柳多留五〇篇」「柳多留八六篇」「柳多留九五篇」「忠臣蔵穴さがし柳樽初編~十七編」をはじめ忠臣蔵の川柳で一冊の本ができるくらいで、『いろは蔵新柳樽』(弘化2年)、『川柳忠臣蔵』(昭和15年、古竹風竹著)、『川柳忠臣蔵』(昭和39年、平尾孤城編)、最近では『古川柳で綴る赤穂義士伝』(平成元年、赤松正章編著)、『古川柳で読む忠臣蔵物語』(平成14年、北嶋廣敏著)、『江戸川柳で読む忠臣蔵』(平成14年、阿部達二著)などがあります。
『忠臣蔵』第6巻第一章(跡見学園女子大学教授岩田秀行氏担当)には、類似の句を除いて3,077句を掲載していますのでご参照ください。
その全部を紹介できませんから、今回は四十七士に因み47句を下記のとおり選んでみました。ああ成るほどと、合点される句はありますでしょうか。なお、川柳の右側に出典を付記しました。
川柳四十七句 |
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冨士と鷹これ忠孝の夜討也 |
柳多留五〇篇28丁 |
大石の重みは四十七貫目 |
柳多留五〇篇29丁 |
首一ッ五万石余の方タに取り |
柳多留五〇篇29丁 |
目かくしとかくれんぼする由良と吉良 |
柳多留五〇篇32丁 |
足軽に飛脚とハおもいつき |
柳多留八六篇33丁 |
町人で義士とハなれず義平なり |
柳多留八六篇34丁 |
石碑迄義士帯剱で四角ばり |
柳多留九五篇2丁 |
冨士なこと鷹へ忠義を茄子夜討 |
柳多留九五篇2丁 |
年の暮かくれんぼする智恵のなさ |
柳多留九五篇4丁 |
塩売が赤穂の咄し見たように |
柳多留九五篇25丁 |
雑水ハ不忠忠義ハ粥をくひ |
柳多留九五篇41丁 |
赤穂塩にてよく熟すこうのもの |
柳多留九五篇42丁 |
炭部屋てせつな小便四位ハ垂 |
柳多留一四八篇30丁 |
平右衛門水雑炊の馳走役 |
柳多留一四八篇33丁 |
鮒だ鮒だとやつ付るこいの意趣 |
いろは蔵新柳樽3丁 |
しほしほと赤穂の城を退散し |
いろは蔵新柳樽6丁 |
五段目で運のいゝのハ猪ばかり |
いろは蔵新柳樽6丁 |
七段目はしごでおかむ船後光 |
いろは蔵新柳樽8丁 |
本蔵ハたつた一軒吹にゆき |
いろは蔵新柳樽9丁 |
忠と義の重荷をつくる天川屋 |
いろは蔵新柳樽11丁 |
白むくで炭部屋わるひかくれ処 |
いろは蔵新柳樽15丁 |
本堂ハ参り人のない泉岳寺 |
いろは蔵新柳樽18丁 |
末世まで外に双つとない巴 |
忠臣蔵穴さがし柳樽四篇 |
五百石しつかり抱た五万石 |
忠臣蔵穴さがし柳樽四篇 |
炭部屋でまづ四十七くらわせる |
忠臣蔵穴さがし柳樽七篇 |
大石のちからともなるよい子息 |
忠臣蔵穴さがし柳樽十一篇 |
大石を文鎮にするかな手本 |
四八・12ウ |
浅からぬうらみひたいへきずをつけ |
一六・12ウ |
四万九千五百石ハ御益キなり |
傍四・15ウ |
石と野ハ大きな忠と不忠なり |
三九・34オ |
たくみとハ家老の方へつけ度キ名 |
八・35ウ |
宝舟夢のやうだと其角言イ |
しげり・下18オ |
大石の中にかるいしひとつあり |
二一・22乙オ |
あくる日は夜討としらすすゝを取 |
六・5オ |
四十七俵ほど積んだすみへ逃ケ |
五三・12オ |
吉良ひやかなるお寐巻か炭だらけ |
三一・31オ |
目印ハ殿かみけんへつけて置キ |
安元・宮2 |
九十二の足跡寺へ雪のあさ |
一〇三・5ウ |
九十四の足跡寺へ雪の朝 |
一一九・11ウ |
忠臣の鏡を四家で破却する |
一二一乙・46オ |
石塔も無腰てハ居ぬ四十七 |
五七・23オ |
忠臣ハ花の仇をは雪てうち |
五四・2ウ |
あこう塩四斗七升とせんじつめ |
明六・礼3 |
しほのかたまり評定の度にへり |
三二・43ウ |
塀の屋ねふわととんたハ数右ヱ門 |
一五・25ウ |
四十七人は泉かく寺て御引とう |
たねふくべ一四・13オ |
星うつりても名ハ光る義士の徳 |
一〇二・25ウ |
この文を書いた人(文責)
矢野圭吾(赤穂市教育委員会)
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