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更新日:2023年1月1日

忠臣蔵寺子屋-第1回

第1回(2004年2月2日)

「忠臣蔵」ってなに?

元禄14年(1701)3月14日に赤穂藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が吉良上野介(きらこうずけのすけ)に江戸城の中で斬り付けるという殿中刃傷事件が起きました。その後、翌年の12月14日には大石内蔵助(おおいしくらのすけ)ら元浅野家の家来が吉良上野介邸に討入って、亡き殿様の敵討ちをするという大事件が起きています。さらに元禄16年2月4日には四人の大名(だいみょう)に預けられた赤穂浪士たちが切腹を命ぜられ命を絶ち、後に「赤穂義士」と称えられるようになりました。

この一連の事件を「赤穂事件」とも言いますが、最近「忠臣蔵」と言う人が多くなりました。でも本当の「忠臣蔵」というのは、寛延元年(1748)に大坂(今の大阪)竹本座で人形浄瑠璃・文楽(ぶんらく)として上演された芝居の題名「仮名手本忠臣蔵」(かなでほんちゅうしんぐら)のことなのです。
この「仮名手本忠臣蔵」は、大変優れた芝居で、すぐに歌舞伎にも取り入れられ大評判となりました。また、初演以来、歌舞伎俳優たちが工夫を重ね、素晴らしい芝居に練り上げたのです。忠臣蔵は、菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)・義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)と共に三大名作の一つと言われています。

作者は、竹田出雲(たけだいずも)・三好松洛(みよししょうらく)・並木千柳(なみきせんりゅう)の合作です。登場人物も浅野内匠頭が塩冶判官(えんやはんがん)、吉良上野介が高師直(こうのもろなお)、大石内蔵助が大星由良之助(おおぼしゆらのすけ)とか、大石主税が大星力弥(おおぼしりきや)というように、実名ではなく『太平記』の世界にも置き換えて、ずーと昔のお話しですよ、というふうに作っています。
でも、見ている人は塩冶判官が浅野内匠頭で、大星由良之助が大石内蔵助と想定できるようにもなっています。

これは、47年前に起こった事件を人名や場所をそっくり取り入れて芝居にすると、事件そのものが江戸で起こっていること、将軍や幕府高官も関係していることから、結局幕府を批判したということになり、上演禁止となります。
この上演禁止処分を避けるため、場所は江戸城内で起きた刃傷事件を鎌倉で、時代も江戸時代を南北朝時代に設定しています。南北朝時代に実際に起きた高武蔵守師直(足利家執事)が塩冶判官高貞(出雲守護)を滅ぼす事実とも関連づけて、赤穂のことを連想させますが、全く別の話ですと巧妙(こうみょう)な筋書きになっているのです。

この芝居が基になっていろいろな芸術が生まれ、歌・講談・浪曲はもちろん映画やテレビドラマ、バレエやオペラも作られています。実際の事件のこともあわせて多くの人々の心を打つ題材として芸術家たちが、それぞれのジャンルで取り上げています。
これからもいろんな人が、それぞれの想いで事件のことや赤穂義士や事件に関係する人々のことを取り上げて、さまざまな方法を使って表現される永遠の題材だろうと思います。

この文を書いた人(文責)
矢野圭吾(赤穂市教育委員会)

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