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更新日:2011年9月1日

忠臣蔵寺子屋-第6回

第6回(2004年11月1日)

風さそう……

浅野内匠頭長矩(あさの・たくみのかみ・ながのり)は、吉良上野介への殿中刃傷により一関藩主田村右京大夫に預けられました。その責により幕府から事件を起こした元禄14年3月14日、その日のうちに切腹を命ぜられます。
内匠頭が切腹の場に着く前、片岡源五右衛門(かたおか・げんごえもん)が赤穂藩士の中でただ一人面会を許され、廊下を歩く藩主と最後の別れをするというシーンは、映画やテレビの「忠臣蔵」では必ずといっていいほど演じられ、涙を誘う名場面です。

片岡源五右衛門宅跡

片岡源五右衛門は、350石取の用人(ようにん、家老・番頭〈ばんがしら〉に次ぐ要職)で赤穂城内三の丸(現在、大石神社境内の駐車場南部、写真参照)に屋敷がありました。生まれた年は寛文7年(1667)で、藩主内匠頭と同い年です。さぞ信任も厚かったのでしょう。もちろん討入りに参加しています。
さて、浅野長矩が切腹の際に詠んだとされる辞世は、切腹検使役の一人である多門伝八郎(おかど・でんぱちろう、幕府の目付)の覚書(おぼえがき)に記されています。

風さそふ花よりも猶我ハまた 春の名残をいかにとかせん

「かぜさそう はなよりもなお われはまた はるのなごりを いかにとかせん」と読みます。
下の句については、「…春の名残をいかにとやせん」という説もあります。
また、切腹の時に桜の花びらが散るシーンもよく見受けられます。3月なのに、なぜ桜なのか不思議だと思われるでしょう。それは、旧暦の元禄14年3月14日を西暦に換算すると、1701年4月21日となりますので、大体4月初旬に咲く一重のソメイヨシノではなく、八重桜であれば気候によっては時節が合うかもしれません。
命の終焉(しゅうえん)の象徴として桜の花を散らし、内匠頭の生涯が終わったことをうまく表しています。片岡宅絵図

赤穂城下町絵図(『赤穂市史』第5巻付図2、翻刻図)
オレンジ色の箇所が片岡源五右衛門宅

この文を書いた人(文責)
矢野圭吾(赤穂市教育委員会)

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